-001話:ブログってなんですか?
私がインターネットと遭遇したのは、世間でWindows3.1(1991年リリース)がもてはやされ、MAC(アップル社製マッキントッシュなど)の物まねだとかささやかれていた時代であった。やがて、Windows95(1991年リリース)が登場し、TCP/IPプロトコルがOSに内蔵され、インターネットへのアクセスが大変楽になった記憶がある。
仕事場で、Windows3.1を非力なPCで動かし、TCP/IPプロトコルを組み込み、なんとかインターネットに接続していた。接続ラインはNTTのINS64であった。YahooやInfoseekといった検索サイトに接続し、狂喜乱舞していた。と思う。昔のことなので定かではない。
自宅では、NECのモノクロ16諧調の液晶画面をもった16ビットノートパソコンからDELLのPC(形式等不詳:メモが残っていない)にかえ、Windows3.1がまあまあ快適に動いていた。モデムは、9600bpsの箱型のもので、電話ラインに直結、PCとはRS232Cケーブル(※USBではない。当時USBケーブルなどなかった。)で接続していた。今のように、ADSL、光ケーブルが無い時代で、課金は時間制である(3分10円!)。接続し、時計の分針とにらめっこしながら、必要なメールや情報をみつけダウンロードしていた。Windows95を導入すると使っていたDELLマシンでは、重くて使い物にならず、パソコン工房のPC組立てサービスを利用した。たしか、CPUは Pentium 3 だったような気がする。
ADSLサービスへの移行は、平成電電の電光石火である。常時接続で、当時として、驚異の安さであった。しかし、その脅威の安さ故か経営破綻(2005年)した。その受け皿として、日本テレコム(現:ソフトバンク)があたってくれたので、途切れることなくADSLサービスを利用することができた。その後、引き受けた日本テレコムがソフトバンクになり、Y!BBへ特別割引の料金で移行することができた。ソフトバンク様様である。このため、光ケーブルへの勧誘を幾度となく蹴り、現在に至っている。
PCの話しに戻ると、パソコン工房の組み立てキット以後は、自作PCで済ましている。マイクロソフトのOSのバージョンアップ(Windows2000、XP、8)ごとに、CPUやマザーボードの入替、それに付随するRAMやHDDの交換をおこなった。現在、私の机の横でうなっているマシンの筐体は、WindowsXPを動かすために組んだ初代自作マシンのものをそのまま使っている。中身は、相当違いますが…。
ということで、インターネット上にHPをあげた時代もありましたが、時間の経過と共に仕事が複雑になってきて全く更新しないままサイトが閉鎖されたりして、情報発信を全く行わない状況が続いてしまいました。巷では、フェイスブック、ツィッター、ブログ、ラインとかいう言葉がTVのニュースにまで氾濫しています。仕事も一段落済んだし(完全に済んでしまった!収入元がなくなった。)、あれやこれや(機会があればそのうちに)もほぼ片付いたし、そして、ついにR100RSも手に入れたし。HPでも再び始めようかと思い立たのです。そう、R100RSのことをいろいろ調べると、必ず、HPとかではなくブログと呼ばれるページが表示される。世の中はブログだ!と思っちゃったわけですね。ということで、私のブログ人生が始まります(ちょっと始めるのが遅すぎたかな(^^♪))。